同じ「やり直して」という言葉でも、ある上司に言われたときは素直に受け入れられ、別の上司に言われたときは反発したくなる。そんな経験はないでしょうか。この差を生むのが、上司と部下のあいだに積み上がる「信頼残高」です。この記事では、信頼残高とは何か、どうすれば増えて、何をすれば減るのかを整理し、上司が日々のコミュニケーションの「質」と「量」に気を付けるべき理由を解説します。
※人事・研修ご担当の方へ:管理職の信頼関係づくり・コミュニケーション研修のご案内は、記事の後半(研修のご紹介)にまとめています。
この記事でわかること
- 信頼残高とは——預け入れと引き出し
- 上司は「立場」だけでは信頼されない
- こんな状態は、残高が減っているサイン
- 残高を決める2つの軸——コミュニケーションの「量」と「質」
- 残高を増やす日常の3習慣
- 残高があるとき・ないときで、同じ指摘がどう変わるか
- 今日から始める、1週間の実践
- 組織として、管理職の信頼づくりを支える
- まとめ:上司は日々のコミュニケーションの質と量に気を付ける
- 管理職向け研修のご紹介(人事・研修ご担当者様へ)
信頼残高とは——預け入れと引き出し
信頼残高とは、銀行口座のように、日々の関わりで増えたり減ったりする、上司と部下の信頼の蓄えのことです。日常のやり取りが「預け入れ」になることもあれば、「引き出し」になることもあります。
| 預け入れ(残高が増える) | 引き出し(残高が減る) |
|---|---|
| 名前を呼んで挨拶する | 忙しいからと話を遮る |
| 小さな成長に気づき、言葉にする | 結果だけで評価する |
| 約束を守る | 気分で態度が変わる |
| 話を最後まで聴く | 他の部下と比較する |
| 自分の失敗を素直に認める | 陰で評価を口にする |
注意や叱責、厳しい指摘は、一時的に残高を引き出す行為にあたります。残高があれば、厳しい言葉も「自分のため」と受け取ってもらえます。残高がゼロの状態で言えば、正しい内容でも「攻撃」と受け取られます。
上司は「立場」だけでは信頼されない
「上司なのだから、部下は言うことを聞くはずだ」——そう考えている管理職は少なくありません。しかし、役職は権限を与えても、信頼までは与えてくれません。
- 部下は、上司を選べません。信頼は、関わりの中で一つずつ積み上がるものです
- 新しく着任した上司の残高は、ゼロから始まります
- 人事異動や世代の違いで、これまでの「当たり前」が通じなくなっています
たとえば、「見て覚えろ」「叱られて一人前」と育てられた上司世代に対し、今の若手は理由と目的を知りたい、成長につながるフィードバックがほしい、こまめな声かけがほしいと考えています。若手は「叱られたくない」のではありません。残高の積み方が、これまでと違ってきているのです。
こんな状態は、残高が減っているサイン
次のような状態が見られたら、信頼残高が減っているかもしれません。3つ以上当てはまる場合は、日頃のコミュニケーションを見直しましょう。
□ 会議や1on1で、部下が本音を話さなくなった
□ 指摘すると、言い訳や反発が増えた
□ ミスやトラブルの報告が遅れる、または隠される
□ 部下の表情が硬い、目を合わせない
□ 「はい、分かりました」としか返ってこない
□ 部下の関心事や、最近の様子を説明できない
人事・研修ご担当者様へ:管理職について、こんな課題はありませんか
- 管理職と部下の関係性に、部署ごとの差が大きい
- 部下が上司に相談しない、本音を話さない
- 管理職が、日頃のコミュニケーションを後回しにしている
- 1on1や面談が、形だけになっている
一つでも当てはまる場合は、信頼関係の築き方と、日々の関わり方を、ワークで実践的に学ぶ研修が役に立ちます。内容はこの記事の後半でご紹介しています。
残高を決める2つの軸——コミュニケーションの「量」と「質」
信頼残高を増やすために、上司が気を付けるべきことは、突き詰めると日々のコミュニケーションの「量」と「質」の2つです。
量:接点の多さ
声をかける回数、話す機会、部下が話せる時間。接点が少ないと、預け入れの機会そのものが減ります。
質:関わり方の中身
聴く姿勢、認め方、約束を守る誠実さ。量だけ増やしても、中身が伴わなければ、残高は増えません。
量と質を掛け合わせると、上司のコミュニケーションは次の4つのタイプに分けられます。
| 質:低い | 質:高い | |
|---|---|---|
| 量:多い | 干渉型 話しかけは多いが、一方的。説教や指示ばかりで、残高が減りやすい |
信頼が貯まるタイプ 接点が多く、聴く・認めるが伴う。厳しい言葉も届く |
| 量:少ない | 無関心型 接点が少なく、関わり方も雑。残高がゼロに近づく |
距離がある型 関わると丁寧だが、接点が少ない。部下は「遠い」と感じる |
目指すのは、「量も質も確保できている」状態です。忙しい管理職ほど、量が不足しがちです。また、量を増やせても、中身が一方的なら逆効果になります。
残高を増やす日常の3習慣
量と質を両立するために、日常で続けたいのは次の3つの習慣です。
① 承認
結果・行動・存在を認める
「最近、段取りが良くなったね」
「助かったよ、ありがとう」
② 関心
変化に気づき、名前を呼ぶ
「〇〇さん、今週どう?」
※私生活への過度な詮索は「個の侵害」に
③ 対話
部下が話す時間をつくる
月1回・15分の1on1でもOK
上司は「聴く」に徹する
3つとも、特別なスキルは要りません。小さな接点を、毎日、丁寧に重ねることが、残高を増やす近道です。続ける上司とそうでない上司とでは、半年後に大きな差がつきます。
量を確保するコツ
残高があるとき・ないときで、同じ指摘がどう変わるか
同じミスに対する、同じ指摘でも、残高の違いで受け止め方は大きく変わります。
残高があるとき
上司:「今日の検査記録、3か所記入漏れがあったよ。抜けると不良が出たとき原因を追えなくなるんだ。次からは提出前に見直してほしい」部下:「すみません、気をつけます。見直しの時間をとります」
→ 「いつも自分を見てくれている上司の指摘だから」と、素直に受け止められる。
残高がないとき
上司:「今日の検査記録、3か所記入漏れがあったよ。抜けると不良が出たとき原因を追えなくなるんだ。次からは提出前に見直してほしい」部下:「……(普段は何も言わないのに、ミスのときだけ言ってくる)」
→ 言葉は同じでも、「攻撃された」と感じ、反発や萎縮につながる。
言葉は同じでも、それまでの関わりの積み重ねが違えば、届き方は変わります。指摘や叱責は、残高の「引き出し」です。引き出す前に、預け入れが十分にできているかを振り返ることが大切です。
ハラスメント対策の本質も、ここにあります。叱り方のテクニックだけでなく、日頃の関わりによる信頼の積み重ねが、指導を指導として届ける土台になります。
今日から始める、1週間の実践
まずは1週間、次の3つだけを続けてみてください。
1週間の実践
① 毎朝、部下の名前を呼んで挨拶する——「おはよう」に「〇〇さん」を添える
② 1日1回、部下の行動を具体的に認める——「資料の数字が見やすくなったね」
③ 週1回、5分だけ部下の話を聴く——自分の意見は言わず、最後まで聴く
振り返りとして、「この1週間、部下の名前を呼んで、行動を具体的に認めた場面はいくつありましたか?」と自問してみましょう。数えてみると、思ったより少ないことに気づくはずです。
組織として、管理職の信頼づくりを支える
管理職が日々のコミュニケーションを積み重ねることは、個人の努力だけでは続きません。人事・研修ご担当者としては、次の点を整えておくと効果的です。
| 取り組み | 具体例 |
|---|---|
| 考え方を共有する | 「信頼残高」「量と質」の考え方を、管理職全体で共有する |
| 接点の仕組みをつくる | 1on1の頻度や時間の目安を決め、管理職が後回しにしない運用にする |
| 質を磨く場をつくる | 聴き方・認め方・言葉かけを、研修やワークで練習する機会を設ける |
| 経営層が手本を示す | 管理職は、自分がされたように部下に接します。経営層自らが、日頃の関わりで手本を示す |
まとめ:上司は日々のコミュニケーションの質と量に気を付ける
上司は、日々のコミュニケーションの「質」と「量」に気を付けておかなければならない。
- 信頼残高は、日々の関わりで増えたり減ったりする。役職だけでは貯まらない
- 指摘や叱責は残高の引き出し。預け入れが足りなければ、正しい言葉も届かない
- 残高を決めるのは、接点の「量」と、関わり方の「質」。どちらが欠けても貯まらない
- 承認・関心・対話の3習慣を、小さく、毎日、続ける
- 個人任せにせず、組織の仕組みとして管理職を支える
厳しいことを言わなければならない場面は、必ず訪れます。そのとき部下に「この人の言うことなら」と思ってもらえるかどうかは、それまでの毎日の積み重ねで決まっています。まずは明日の朝、部下の名前を呼んで挨拶することから始めてみてください。
管理職向け研修・講演のご紹介(人事・研修ご担当者様へ)
管理職の信頼関係づくりは、考え方を知るだけでなく、自分の関わり方を振り返り、言葉かけを練習することで身につきます。当社では、「ハラスメントを恐れず、部下と向き合うコミュニケーション術——正しい指導と信頼関係で、部下の主体性を引き出す」をテーマに、管理職・経営層向けの研修・講演のご相談をお受けしています。この記事でご紹介した信頼残高の考え方も、内容に含まれています。
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田中 和義
株式会社エス・シー・ラボ 代表。リクルート出身。人材ビジネス業界35年以上、営業経験25年以上、管理職経験25年以上。リクルートグループ2社でトップセールスの実績を誇る。年間170回以上の企業研修・講演を行う実践派講師で、研修・セミナーの受講者は3万人以上。ハラスメント防止・コーチング・傾聴力・Z世代マネジメント・面接官トレーニングを中心に、現場で使えるスキルの習得を支援している。Udemy Business講師。